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神話時代から江戸末期までの様々な武将・統治者や城郭を中心に様々な歴史人物や遺跡を紹介します


by hideki-0319

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初期人類にも土踏まず

 今から約370~290万年前に存在していた初期の人類であるアウストラロピテクス・アファレンシス(通称:アファール猿人)が、アーチ形の土踏まずがある現代人類と似た特徴の足を持っていた事が
アメリカのミズーリ大学の研究者等によって明らかになった。
 つまりは人類は約300万年も前から樹上生活ではなく地上生活を行っていた事になるのだ。
 アファール猿人は1974年にエチオピアで発見された女性「ルーシー」(推定身長110cm)の化石で知られており直立の二足歩行をしていたことはこれまでも判明していたが、鍵となる足の指が見つかっていないことから樹上での生活を続けていたか否かが議論されていた。
# by hideki-0319 | 2011-02-12 12:04 | その他

恐竜は大量絶滅後も70万年生きていた??

 約6550万年前の白亜紀末に起きた巨大隕石の衝突によって大量絶滅したとされる恐竜だが、その大量絶滅の後も約70万年間生き延びた恐竜がいたとする研究成果が、カナダにあるアルバータ大などの研究チームが発表した事が明らかになった。
 延命したとされたのは、成長すると全長21メートルになる「アラモサウルス」と呼ばれる大型の草食恐竜で、同研究チームは、米国南西部ニューメキシコ州サン・ホアン盆地で見つかった恐竜の大腿骨を「ウラン・鉛法」という年代を導き出す手法で直接測定し、年代を約6480万年前と導き出したという。
 恐竜は、メキシコのユカタン半島付近に衝突した巨大隕石による環境異変で絶滅したとされているが、どれだけの期間をかけて絶滅したかや、地域的なバラツキなどはまだ十分にわかっていないのが現実だ。

 国立科学博物館の真鍋真研究主幹によると「すべての恐竜が一瞬で消え去ったわけではないので、隕石衝突の70万年後に恐竜がいても不思議ではない。ただ、今回の年代測定に伴う誤差のためこの化石が隕石衝突前のものである可能性も残る」と指摘しているが。。。

 本当のことはミステリーのままという方が良い気もしますね。。。
# by hideki-0319 | 2011-02-06 12:11 | その他

音義木簡

 天智天皇の近江大津宮に関連すると推測されている滋賀県大津市にある北大津遺跡(7世紀後半のものと推測)から出土した「音義木簡」を、奈良文化財研究所が約30年ぶりに再調査したところ、解読できた文字数が、前回調査した33年前と比較して約2倍の49文字に増えたことが明らかになった。
 漢和辞典のように漢字の訓読みや意味を示した木簡で、情報量が増えたことで、今後は、より詳細な研究が可能になり、日本語の音韻や漢字を使った表記の変遷をたどる上で貴重な史料になりそうだと期待されている。

 解読された木簡(長さ68・5センチ、幅7・4センチ)は1973年に、滋賀県教委の調査で出土した、同県内で初めて見つかった木簡で、同県警鑑識課が撮影した赤外線写真を使って調査した結果、1977年に、約50文字が残り、うち26文字を解読できたことが報告されていた。
 しかし現在は、劣化の為、墨書が薄れて文字が読めなくなり、赤外線写真のフィルムも劣化して現像できなくなっている事から、昨年8月、奈良文化財研究所が新たに赤外線撮影したところ、79文字以上が残っていることがわかり、うち49文字を解読することができたのだという。

 「費」に「阿多比(あたひ)」、「鎧」に「与里比(よろひ)」などの訓を、漢字1字を日本語の1音にあてて記していることが新たに判明し、「慕」を「尼我布(ねがふ)」とする訓などが平安時代の辞書にも書かれており、この読み方が、7世紀後半にさかのぼることが明らかになったという。

 また、木簡に書かれた文字は上下二つのまとまりになっており、文字の出典が複数ある可能性があるという事も今回の調査で明らかになったと言う。
# by hideki-0319 | 2011-01-10 11:29 | その他

キハ181系引退

 私と同じ1968年生まれのディーゼル特急車両のキハ181系が、老朽化による高性能の新型車量の導入に伴って昨日で定期運行の現役を引退した。

 最後は「はまかぜ」として活躍していた。

 
# by hideki-0319 | 2010-11-07 14:35 | 昭和

幻の宝

 奈良市にある東大寺の大仏殿内で明治時代に見つかり、国宝に指定されている鎮壇具のうち2本の金銀荘大刀が実は約1250年間、その所在が確認されていなかった正倉院宝物の大刀「陽寶劔」と「陰寶劔」だと判明した。
 陽寶劔、陰寶劔は聖武天皇の遺愛品で、妻の光明皇后が献納した後、正倉院から持ち出された後、行方がわからなくなっていた。
 今回の鎮壇具は1907年に、大仏の右ひざ付近の須弥壇から出土したもので、金や銀で装飾された大刀6本や銀製小壺など計19件あるものだ。
 今回、金銀荘大刀2本をエックス線で撮影したところ、刀身の根もとに「陽劔」「陰劔」と象眼された銘が確認されたのだという。
 また、その刃の長さや把にサメ皮を使った点なども、正倉院宝物の目録「国家珍宝帳」に記載された陽寶劔、陰寶劔と一致したことも明らかになった。

 「国家珍宝帳」とは、聖武天皇の遺愛品を756年、妻の光明皇后が東大寺大仏に献納し、正倉院に収めた宝物の目録で、中でも陽寶劔、陰寶劔は大刀100本の筆頭に記され、最重要の刀とされていた。同刀は陰陽一対で万物の調和を願ったものだという。
 陽寶劔、陰寶劔は、国家珍宝帳のうち、後に持ち出された「除物」の付せんがある7点のうちの2点で、正倉院の「献物出用帳」には、光明皇后が亡くなる約半年前の759年12月に持ち出された記録が残るが所在が不明だった。
 「除物」扱いの宝物で、所在が特定されたのは今回が初めてのことだ。

 さらに今回の調査で、別の銀荘大刀には北斗七星を象眼した七星文がある事もわかった。
# by hideki-0319 | 2010-10-26 07:56 | その他