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神話時代から江戸末期までの様々な武将・統治者や城郭を中心に様々な歴史人物や遺跡を紹介します


by hideki-0319

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カテゴリ:平安時代

  • 未知の寺院
    [ 2009-03-01 14:45 ]
  • 平安宮
    [ 2009-02-15 12:24 ]
  • 田村堂内部を99年ぶり公開へ
    [ 2009-01-02 07:40 ]
  • 木製笠塔婆発見
    [ 2007-12-30 09:48 ]
  • 法隆寺の文書発見
    [ 2007-07-21 08:40 ]
  • 田村麻呂の墓と特定
    [ 2007-06-05 07:17 ]
  • 曲水の宴再現へ
    [ 2007-04-30 09:57 ]
  • 鳥羽離宮
    [ 2006-11-29 22:29 ]
  • 平安京に池跡
    [ 2006-10-19 23:17 ]
  • いつの時代も同じですね・・・
    [ 2006-10-06 23:42 ]

未知の寺院

 京都市西京区にある松尾山の山中に、文献に記されていない平安時代前期の未知の寺跡があることが、立命館大の学生でつくる考古学研究会の調査で明らかになった。
 この発見が仏堂や僧坊などが立ち並ぶ大規模な山林寺院だった可能性を高めるという。

by hideki-0319 | 2009-03-01 14:45 | 平安時代

平安宮

 京都市下京区で、平安時代前期の役所の門とみられる柱穴2基が、同市埋蔵文化財研究所の調査で見つかった。
 今回の発見場所の近くからは、役所を示す「寮」の文字が墨書された土器や、祭祀具が過去にも見つかっており、同研究所は「祭祀に関係する役所があったのではないか。ここは平安宮の外にあたり、役所とみられる遺構が出土するのは珍しい。当時の都の行政機構を知るうえで貴重」としている。

by hideki-0319 | 2009-02-15 12:24 | 平安時代

田村堂内部を99年ぶり公開へ

 京都市東山区にある清水寺は、同寺の創建にゆかりが深いとされている征夷大将軍の坂上田村麻呂公を祭る重要文化財の田村堂(開山堂)の内部を、今年3月1日から3カ月間、99年ぶりに公開する事を明らかにした。
 田村堂は檜皮ぶき入母屋造り、8メートル四方の建物で、江戸初期の寛永年間に徳川家光の寄進で再建されたものだ。
 さらに2005年には屋根や外観の朱塗りを修復しているが、田村堂内部は、田村麻呂1100年遠忌の明治43(1910)年以降、非公開となっていた。
 今回は3月の西国三十三所観音霊場巡り本尊開帳の関連行事として、田村麻呂1200年遠忌の1年前に公開するものだという。

 堂内に置かれた漆塗り唐様式の厨子には、田村麻呂座像を安置しているが、同像は高さ78センチの座像で、ヒノキ材の寄せ木造りで衣冠束帯の正装姿をしているのだそうだ。

 清水寺によると、田村麻呂は8世紀末、音羽の滝で修行中の僧侶と出会ったことから観音に帰依し、仏殿と観音像を寄進したと言い伝えられているそうだ。
 征夷大将軍として延暦21(802)年の東北遠征時には、激戦の末に降伏した敵方首領の勇気と知恵をたたえ、朝廷に助命を嘆願したという逸話も残っている。
by hideki-0319 | 2009-01-02 07:40 | 平安時代

木製笠塔婆発見

 石川県珠洲市の野々江本江寺遺跡から、平安末期から鎌倉時代前期のものと見られる「木製笠塔婆」と「木製板碑」が出土した。

 今回出土したものは、平安末期の絵巻物「餓鬼草紙」に描かれているものとほぼ同じ形だといい、東京国立博物館の沖松健次郎研究員によれば「餓鬼草紙に描かれた風俗が、架空のものではないことを裏付ける発見だ」そうだ。
by hideki-0319 | 2007-12-30 09:48 | 平安時代

法隆寺の文書発見

 大阪府枚方市の旧家が市に寄贈した古文書の中から、平安時代(929年)の法隆寺文書が見つかり、同市教育委員会が発表した。

 市教委によると、東大寺などは古代の文書が多数伝わっているが、法隆寺は散逸しており、12世紀以前だと66点しかないそうだ。
 8世紀の文書もあるが傷みがひどく、判読できる文書では最古という。

 鑑定した梅村喬大阪大教授(日本古代史)は「法隆寺が国家の保護を受けられなくなった平安時代以降、どう寺を運営したか一端がうかがえ、貴重な史料」としている。

 発見されたのは法隆寺に近くの土地を売った証文「売券」で縦約30センチ、横約70センチだという。
 誦師麿という人物が、母親の墓地を買うため売却したとあり、平群郡(奈良県西部)役所の印があったそうだが、面積や価格の記録部分は欠落しているという。

 法隆寺は飛鳥時代に聖徳太子が建立したとされる。
 朝廷の手厚い保護を受けたが、律令体制が崩れ、土地の私有化が進んだ平安時代以降、財政的に苦しんだとされる。
by hideki-0319 | 2007-07-21 08:40 | 平安時代

田村麻呂の墓と特定

 平安時代の武士で、蝦夷討伐などで知られる坂上田村麻呂の墓が京都市山科区で1919年に見つかった西野山古墓である可能性がかなり高い事が分かった。
 古代条里地図が示す区域と一致した事等が根拠だという。
 

by hideki-0319 | 2007-06-05 07:17 | 平安時代

曲水の宴再現へ

 平安時代の歌遊びを再現する「曲水の宴」が昨日、京都市伏見区の城南宮であった。
 新緑がまぶしい庭の水辺に、公卿や女官らに扮した京都歌人協会員や書家ら7人が座り、参拝客3千人の前で短冊に歌をしたためた。

 7人はそれぞれ、和歌を書き終えると、上流から流れてきた杯を手にとってお神酒を飲んだという。

 歌題は900年前の曲水の宴で実際に採用されたという「池上花」だ。
 「池の上に 流星のごと 花びらの 降りたる後の 静けき夕べ」「かほる風 吹き渡りゆく 池の面に 真日に照らひて ゆるゝ花影」などの歌が詠まれたという。
by hideki-0319 | 2007-04-30 09:57 | 平安時代

鳥羽離宮

 平安時代の院政期に白河上皇や鳥羽上皇が造営した「鳥羽離宮」の庭園の一部を再現する試みが、京都市伏見区の安楽寿院で進められている。
 過去の発掘で出土した庭石を再利用し、できるだけ忠実に再現、平安絵巻の雰囲気をよみがえらせる予定だ。

 鳥羽離宮は、市埋蔵文化財研究所の初代所長を務めた故杉山信三氏を中心に1971年から断続的な調査が行われ、多数の庭石が出土しているが、活用されず収蔵庫などで眠っていた。

 安楽寿院は平安後期、鳥羽離宮・東殿の御堂として造営された縁の深い寺だ。
 斉藤亮秋住職が、杉山氏が生前話していた「鳥羽離宮の庭園を再現したい」という夢を実現しようと、市埋文研の協力で9月末に着工した。

 庭園は、境内の南北30メートル、東西30メートルの敷地に建設中の収蔵庫周辺に整備した。
 離宮の御堂・金剛心院の調査で見つかった池のみぎわや舟着き場、滝組みを、過去の調査図面や写真を参照したり、石に記録された番付の数字を元に再現する予定だという。

 使う庭石は大小約60個だ。
 敷地の関係上、間隔を狭めた部分はあるが、おおむね忠実に配置を再現したという。
 池には白砂を敷く予定で、「いにしえの優雅な雰囲気を味わってほしい」と斉藤住職は語った。

 鳥羽離宮の発掘経験もある鈴木久男・市埋文研調査課長は「出土地近くで活用されてこその庭石。鳥羽離宮の庭園そのものではないが、石は本物。貴重な試みだ」と話している。
by hideki-0319 | 2006-11-29 22:29 | 平安時代

平安京に池跡

 京都市中京区壬生で発掘調査していた市埋蔵文化財研究所は、平安京のメーン道路・朱雀大路に面した区域で、平安時代初期の池跡が見つかったと発表した。
 池跡は中央部を東西に貫通する仏光寺通の部分が未調査のため全容は不明だが、もし一つの池だったとすれば、南北154メートルに及ぶ巨大な池だったことになる。

 JR山陰線高架工事に伴い8月下旬から、幅2-3メートル、南北450メートルに渡って調査している。

 池跡は石を敷き詰めた洲浜が南北2カ所で確認された。
 いずれも下に粘土を敷き、石の大きさをそろえた丁寧なつくりで、深さは最大約30センチだった。
 9世紀前半の平安京造営時の邸宅に設けられた庭園の池で、わき水を利用していたとみられる。

 調査地を貫通する仏光寺通は、平安時代の「五条坊門小路」にあたるが、当時の道路関係の遺構は確認できなかった。
 北と南の池は構造が良く似ており、一体だった可能性もあるが、堆積物による腐植土の層や遺物の状況から、別の池だった可能性もあるという。

 もし一体の池であったとすると、五条坊門小路をまたぐ南北二町(約240メートル)以上の大邸宅があったことになる。
 市埋文研では「調査地は朱雀大路に面した一等地で大邸宅があって不思議ではない。しかし、所有者は文献でも明らかになっておらず、慎重に調査したい」としている。
by hideki-0319 | 2006-10-19 23:17 | 平安時代

いつの時代も同じですね・・・

 群馬県埋蔵文化財調査事業団は、同県太田市の「東今泉鹿島遺跡」から、平安時代の地方役人が給料の米の前借りを申し込んだとみられる文書を発見した、と発表した。

 奈良時代の都の下級役人が給料の前借りを願い出た文書が正倉院に残っているが、今回の文書は平安時代になっても、地方社会では貨幣の代わりに米が流通していたことを示しており、事業団理事の佐藤信東大教授(53)は「当時の地方役人の生活実態を明らかにする貴重な史料」としている。

 事業団は、竪穴住居跡から出土した土器の底に張り付いていた漆紙の文書に、赤外線を当てて文字の解読を試みた。

 この結果、文書は書式などから当時の役人が書いた公文書の一部とみられ、表には「解申 米壹斗 右伴物依本 器所以旬」との文字が判読できた。
 「10日後には利息を付けてお返ししますので米一斗をお貸しください」との意味に解釈できるという。
 裏にも「御許 了」と書かれ、無事に返済したことを示した内容とみられる。

 この文書は10月27日から29日の間、群馬県庁で開かれる「ぐんま考古学ワールド2006」で公開される。
by hideki-0319 | 2006-10-06 23:42 | 平安時代