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神話時代から江戸末期までの様々な武将・統治者や城郭を中心に様々な歴史人物や遺跡を紹介します


by hideki-0319

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最上義光

 最上義光というと白鳥長久のだまし討ちをはじめ、伊達政宗暗殺事件の一端を担うなどあまり良いイメージの少ない武将である。最上家も結局は義光が上杉家に預けていた嫡男義康を殺害し次男家親に家督を譲ろうとした意見でお家騒動が起こり取り潰しの憂き目にあったこともあて印象が悪いのであろう。
 しかし、戦国大名として義光は徳川家康と最も親しい一人でも有った。
 家康は義光を信頼し、義光もまた家康を信頼したのだ。
 豊臣家の小田原攻めの折、遅参した義光をねぎらって家康はわざわざ酒匂川まで出迎えたという。そうした行為に感激した義光はその翌年、奥州九戸の乱の時には次男左馬助を小姓として差し出したという。また、慶長の大地震の際には、諸大名が我先にと秀吉を見舞ったのに対して、義光だけがいち早く家康を見舞ったという。
 反面、三成とはそりが合わなかった様だ。
 庄内領有権問題の際にも秀吉の言う「惣無事令」に違反すると訴えた義光だが、三成は上杉方の肩を持ち敗訴になる。家康のみが義光を支持したが一歩及ばずだったらしい。また、聚楽第事件で秀次が切腹した一件でも義光は末娘の駒姫の助命を嘆願したが秀吉側は完璧に無視したという。
 こうした事が重なって、関が原では当然のように義光は家康に味方する。そればかりか、家康は義光を南部利直軍5000人、秋田実季軍2650人、戸沢政盛軍2200人他本堂、六郷、赤尾津、仁賀保、滝沢、内超、岩屋ら諸侯軍に最上軍6500人を足した約18000人の軍勢を率いる上杉討伐の奥羽諸軍の総大将を任される事になるのだ。
 しかし、関が原の戦いが始まると諸軍は当然のごとく自国に戻り領内安定に励むため連合軍から離脱してゆき、最上軍のみが上杉軍と対峙する事になってしまうのである。
 しかし長谷堂の合戦で志村光安が善戦し、さらに伊達の軍勢が義光の援軍に駆けつけたことで最上軍はより強固になったのである。しかも、関が原の合戦があっけなく終わったことが判ると上杉軍は撤退し、最終的に最上軍623人、上杉軍1580人の戦死者を出して、この上杉と最上の争いは終了するのである。
 最上が上杉を抑えた事で、家康は後顧の憂い無く西上出来たわけで、その後最上義光は論功行賞で33万石の加増をされ出羽57万石の大大名となったのである
by hideki-0319 | 2006-02-04 09:49 | 戦国時代